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であう〜留学生を見守る「にほんのお母さん」〜【Carré03掲載】

更新日:2021年3月14日


インタビュー|中村吉江さん



京都駅から塩公路通りを西に直進し、堀川通を渡る。住宅街にはいってしばらくすると「畳三」という看板が見えてきた。「中村三次郎商店」は下京の地で代々続いている、老舗の畳屋さんである。その畳屋さんの二階のダイニングルームで私たちは今回、ここで生まれ育った中村吉江さんにインタビューをお願いした。現在、総合育成支援と、ボランティアとして、エコロジーの活動などに従事されている。その中でも特に力を入れていることが日本語を教えることで、現在、南区の公立小学校で、4年生のネパール人の女の子を教えている。


中村さんが日本語ボランティアとして在日の海外の人に教えることになったのには、大学時代の経験がきっかけとなっている。同志社女子大学の英文科で学んだ中村さんは、もともと海外に関心があり、キリスト教系の学校ならではの奉仕精神の教育を受けられ、その中でボランティア精神を培われた。また、語学にも非常に関心があり、英国人女性と英語と日本語、ドイツ人女性とはドイツ語と日本語を互いに学びあっていた。


もともとそんな素地を持った中村さんが、日本語指導ボランティアに目を向けたのは、2006年、国際交流会館で日本語のボランティアを募集していることをインターネットで知ったことがきっかけであった。早速申し込み、5年間、国際交流会館で日本語指導のボランティアをした。ここでボランティアができるのは、最大5年。そのあと、どうしようか、と思っていたところ、教育委員会が募集していた、外国にルーツを持つ人たちに日本語を教えるボランティアの説明会に参加。こちらに応募して、採用された。



そのボランティアにおいて日本語の指導はまず、日本語教師によって行われ、その後ボランティアの人が指導を担当した。中村さんは、研修を受けてから洛友中学校二部の夜間教室にて日本語ボランティアの仕事を始めた。ここで教えているとき、中村さんは韓国籍の方で日本語の読み書きを学ぶ機会に恵まれなかった人、また、両親が日本人である残留中国人孤児と呼ばれる高齢の帰国者に読み書きを教える機会があった。その方たちの育ってこられた背景にも感じることが多かったそうで、残留中国人の生徒が「小学校の教科書が読めるようになった」と喜んでいた時には、思わず涙が出たそうだ。


中村さんは、「中学3年生になると、受験に関わっての指導などとの兼ね合いもあり、大変になってくる」という。また、来日する人も、家自体が経済的ゆとりのある人の子ども、就労目的で来た人の子どもなど、色々な背景があり、そういった事情が子どもたちの成長にも影響するので、そういったひとりひとりの事情にも配慮しながら授業を進めていったそうだ。



日本の学校に精通している中村さんに、現在の留学生の事情も聞いてみた。たとえば、国によっては、多額の借金を背負ってまで日本に来る人もいる。最初に借りたお金を返すために、アルバイトで必死になり、勉強どころでない学生もいるそうだ。また就労目的のためだけに日本語学校を利用する留学生もいる。このようなことを解決していくのは、日本の課題でもある、と中村さんは言う。


その後、洛南中学で週に一度、教科のひとつとして日本語を教えることとなった。ここではフィリピン人や中国人の子どもが日本語を習っていたそうだ。この時、中村さんは文化の違いをまざまざと感じさせられたという。たとえば、「家族」という言葉ひとつとっても、意味合いが違ってくる。国によっては、親戚まで「家族」という文化があり、日本語を教えるということは、こういった異文化を吸収することでもある、と中村さんは言う。


年々、外国にルーツのある子どもたちに触れる機会が多くなった今、文字や単語、文法の学習だけでなく、指導者と学習者が互いに異文化理解ができるようになることを、中村さんは目標としている。そして、生徒には多種多様な面で「生きる力」がはぐくまれるような学習内容を構築したいと思っている。そんな中で、中村さんは、「子どもたちに日本語だけでなく母語も大切にしてほしい。そして、日本語を通じてそれぞれの新しい世界を開き、何か目標をもって進んでほしい。」と願っている。


それでは、中村さんの言う「異文化理解」に関して、私たちはどのようなことを学んでいけばいいのだろうか、読者へのメッセージとして伝えられることはないか、中村さんに聞いてみた。中村さんは、「日本語ボランティアだからといって肩ひじをはらなくてもいいし、外国に行かなくても、その国のことはわかる。だから、日本にいながらでも、外国人にオープンな姿勢であってほしい。相手の文化を学ぶという気持ちを持ってほしい」と話された。中村さんの家では、外国からのホームステイの受け入れも行っている。「地域の人たちも、外国から来た人を気持ちよく受け入れることができるといい」と中村さんは願う。たとえば、夏祭りや学区防災訓練に参加を呼びかけ、体験してもらうなど、やり方は色々とあるはずだと中村さんは続けた。



そして、中村さんには「皆、同じ地球人」という信念があり、中村さんのお嬢さんがベトナム人男性と結婚された時にも、結婚式で新郎のお父様に「同じ地球人だから、仲良くしていきましょう」と話されたそう。「京都にやってくる外国の方も、肌の色、言葉は違っても同じ『地球人』。構え過ぎないでいれば、何かがきっかけで小さな国際交流が始まるかもしれない。もし英語で話しかけたいなら、中学1年で習った英語で大丈夫。もし日本語で話しかけたいなら小さな子どもに話すみたいな優しい日本語で大丈夫。それが気軽な文化体験につながる」と中村さんは話す。


信念をもって日本語ボランティアを続ける中村さん。一般に使われている日本語のテキストがもっと分かりやすいものになればいいが、生徒が成功した話を聞くのがとても嬉しいという。タイから来た教え子は、日系企業に就職した。今後、母国からの研修生の通訳として働くことになっている。また、ホームステイとして受け入れていた人たちとも交流が続いて、「おかあさん」と言って、慕ってくれる生徒が何人もいて、日本語ボランティアをしていて本当によかったと思えるとのこと。


そんな中村さんには夢がある。それはベトナムに嫁いだお嬢さんが経営する日本語学校で、ビザなしで渡航できる2週間の間に、日本語を教えることだ。以前、タイの高校を訪ねた時、日本語を教えたことがあるが、次の目標はベトナムだ。中村さんの関心は常に外を向いている。「日本人は内向的である」とよく言われるが、中村さんを見ていると、そんな言葉はどこかに吹き飛んでしまう。

 


たとえ、中村さんのように日本語教師をしていなくても、外国人と関わっていくことが増えてくる日本社会。特に下京区には観光で外国から訪れる人が多い。中村さんは言う。「自分がつなぎ役となっていれば、文化の懸け橋としてうまく機能する。」ひとりひとりにこのような意識を持つことが、今、求められているのだろう。今回、中村さんを取材して、改めて「ひとりひとりが異文化に向き合うこと」の大切さを教えられた気がした。



なかむら よしえ

下京区の老舗の畳屋に生まれ、ずっとこの地域に暮らし続けている。同志社女子大学で英文学を学ぶ。日本語を教える以外にも多くのボランティア活動に携わり、またこれまで自宅では多くの外国人をホームステイで受け入れている。

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