​永松学区の様子

 

​統計デーからみる

永松学区の様子を統計データからみていきましょう。

1. ひとの様子

(1)人口

永松学区人口関連グラフ(出典:平成27年国勢調査)

(2)世帯

永松学区世帯関連グラフ(出典:平成27年国勢調査)

(3)年齢階層別人口

年齢階層別人口グラフ(出典:平成27年国勢調査)

(4)外国人・就業者数・従業者構成

外国人・就業者数・従業者構成(出典:平成27年国勢調査)

(5)産業別就業者数

産業別就業者数(出典:平成27年国勢調査)

2. 住の様子

​(1)種類別世帯数

種類別世帯数(出典:平成27年国勢調査)

3. 経済の様子

(1)産業分類別事業所数

産業分類別事業所数(出典:平成26年経済センサス)

(2)産業別規模別事業所数

産業別事業規模別事業所数(出典:平成26年経済センサス)

(3)産業別従業員数

産業別従業員数(出典:平成26年経済センサス)

(4)卸・小売業

卸・小売業関連(出典:平成26年経済センサス・平成26年商業統計)

(5)製造業

製造業関連(出典:平成20年工業統計調査)

4. 人育ての様子

無し

教育関連(平成24年4月現在)

 

​永松学区をもっとさぐる

永松学区の様子を歴史や人の声からみていきましょう。

永松学区ストーリー

・860~70年、時の右大臣藤原良相が一族のものの中で自活できないものを養うために建てた建物のあったところである。
・豊臣秀吉が京都市中を守るために土や石で城壁を築き、その上に竹や木を植えました。このお土居は、永松学区の諸町をちょうど貫いたものであった。
・高瀬川が秀吉の命により1596~1615年に開削された。高瀬川の両岸には家や倉庫が立ち並び町地として開発されてきた。
・高瀬川で多くの物資が運び込まれ、中でも永松学区には材木や薪炭を扱う店が多かったのでこりき町とか材木町と呼ばれ、俗に木屋町と呼ばれた。
・船頭町は、高瀬川開通の際、船頭を募集してこの町に住まわせたのがその起源といわれている。

永松学区に住む人々の声

・ぼくたちが,思いきりボールをけって遊べる公園や広場がほしいです。(T・U/8歳)

・五条から木屋町に入ると,高瀬川,カワニナ貝を,繁殖させて,ホタルが飛ぶと云う夢を見ながら,歩いています。(MㆍA/74歳)

・永松小学校が有った時代,河原町にも魚屋さんや散髪屋さん等お店がーぱい有り繁昌

していました。今はマンションばかり,あの頃の繁栄が,なつかしい!(Y・N/50歳)

 

出典:

・下京区130周年記念事業実行委員会(2010)「下京区130周年記念誌」京都市下京区,27-28頁。

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