統計データからみる
皆山学区の様子を統計データからみていきましょう。
1. ひとの様子
(1)人口
人口ピラミッド(令和2年度 国勢調査)
人口推移
皆山学区人口関連グラフ(出典:令和2年国勢調査)
※人口推移の令和2年度には年齢不詳人口が含まれているが、
人口ピラミッドには年齢不詳人口は含まれいない為数字が一致しない。
(2)世帯
世帯数推移
1世帯あたり人員平均 推移
皆山学区世帯関連グラフ(出典:令和2年国勢調査)
(3)年齢階層別人口
年齢階層別人口グラフ(出典:令和 2年国勢調査)
(4)外国人・就業者数・従業者構成
外国人・就業者数・従業者構成(出典:令和2年国勢調査)
(5)産業別就業者数
産業別就業者数(出典:平成27年国勢調査)
2. 住の様子
(1)種類別世帯数
種類別世帯数(出典:平成27年国勢調査)
3. 経済の様子
(1)産業分類別事業所数
産業分類別事業所数(出典:平成26年経済センサス)
(2)産業別規模別事業所数
産業別事業規模別事業所数(出典:平成26年経済センサス)
(3)産業別従業員数
産業別従業員数(出典:平成26年経済センサス)
(4)卸・小売業
卸・小売業関連(出典:平成26年経済センサス・平成26年商業統計)
(5)製造業
製造業関連(出典:平成20年工業統計調査)
4. 人育ての様子
教育関連(平成24年4月現在)
※地域統計要覧(平成25年版) 下京区を参照 https://data.city.kyoto.lg.jp/node/77246
皆山学区をもっとさぐる
皆山学区の様子を歴史や人の声からみていきましょう。
皆山学区ストーリー
・皆山学区には、京都タワーが高くそびえている。
・下京門前町ルネッサンスのメイン会場として京都駅、東本願寺、渉成園が選ばれた。
略年表
1602年 東本願寺創建
1877年 京都停車駅(京都駅)開業
皆山学区に住む人々の声
・昭和8年に皆山尋常小学校へ入学しました。クラスは男組女組男女組3組の編成でした。全校生徒約700名位でした。毎朝朝礼式にはグランドー杯でした。先づ最初に天皇陛下に拝礼しその後ラヂオ体操を行いました。丁度軍国主義の時代で昭和12年には支那事変が勃発しました。昭和9年には室戸台風が襲い東山東面の樹木は倒れ丸裸になりました。皆山校も木造校舎は柱で支えられました。又駅前地域では丸物百貨店が改築され,駅正面には京都電灯(現関電ビル)本社が新築され冷暖房完備(当時東洋一と言われた) の高層建築が初めて出来,工レヴェターが設置されたので大変珍しく私も幾度も乗りに行きました。その頃は人力車牛馬車が存在し四輪自動車(フォード)自動二輪(八ーレー)が走っていました。それも少数でした。主要道路は人の歩みが主流でした。又駅前を起点にチンチン電車が運行していました。次に戦中戦後の諸般の状況は皆様も御存知と思い省略させて戴きます。(内藤儀照/83歳)
・皆山学区は京都駅と共に歩んできた地域であり,日本初の市電,京都タワー,そして現在の京都駅など伝統を重んじる京都の中で最も革新的な地域として今後もあり続けたい。(HㆍN/52歳)
・私のいた六条院のクラスは18人という少ない人数だったが,男女とも仲がよく,卒業した今でもその関係は続いている。この六条院の良さを統合しても続けていってほしい。(NㆍN/15歳)
出典:
・下京区130周年記念事業実行委員会(2010)「下京区130周年記念誌」京都市下京区,47-48頁。